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こころの再生百人衆

アカデミック分野の方々

金関 恕さん

府立弥生文化博物館館長


1927年京都市生まれ。
天理大学名誉教授
1936年、台北に転居して美しい風土の中で育ち、父親の考古学発掘調査を手伝ってその面白さに魅了される。
1953年、京都大学文学部史学科考古学専攻を卒業。同大学院をへて、1956~59年、奈良県国立文化財研究所臨時筆生。その間、山口県土井ケ浜遺跡、梶栗浜遺跡など弥生時代の遺跡や、奈良県飛鳥寺跡、大阪市四天王寺跡など最古の仏教寺院の遺跡の調査に参加。
1959~96年、天理大学に勤務。同大学文学部教授。日本オリエント学会主催のイスラエル、テル・ゼロール遺跡の発掘調査に参加。その後「聖書考古学発掘調査団」を組織してエン・ゲブ遺跡の発掘を継続。1991年以降、大阪府立弥生文化博物館館長。

金関 恕さんからのメッセージ

「子ども時代に、本物に触れて、経験することが大切。」

最近、うちの息子(ヴァイオリニストの金関環氏)は、キッズコンサートというのをやっていてね。午前中、劇場を借りて、お母さんも、赤ちゃんもみな構わないから入ってもらってとにかく子供向けにアレンジしたんじゃなくて本当の音楽を聴いてもらうイベントを開催しています。子どもがたくさんいて、ガヤガヤしているところに、一人だけ黒いきちんとした服装で出て行って、じーっとヴァイオリン持って立っていると、不思議なことにし~んとなる。そこで多少硬い難しい曲を弾いても、終わるまでちゃんと聴いてるし、喜んでくれるって言ってますよ。だから、やっぱり真面目な芸術というのは、子どものときから黙って聴くし、聴かす。それも強制するんやなしに、態度というか雰囲気を作るというのが大事やというのが、試行錯誤してだんだんわかってきたと言うてます。子どものときにそういう経験をして、多少とも記憶に残れば、音楽っていうのはね、何のためにするのかと言ったら、心に傷があるときにその傷に注入する薬みたいなもので、その薬で傷が少しは癒されるという、そういう芸術だということが分かるんですよね。

阪神大震災のときに、環が、弦楽合奏団を連れて神戸へ行ったんです。みんなが避難している高等学校の体育館で弾いてくれって呼んでいただいたんですけど、弾くよりもレンガの一つでも拾った方がいいんやないか、後片付けした方がいいんやないかと思って申し出たら、いやとにかく弾いてくれって言われたそうです。それで、みんながバラバラに座ってるところで、弾き始めたんです。そしたらだんだん、人が集まってきて、頭垂れて涙流しながら聴いてくれたそうです。「ああ、音楽っていうのは自分のために弾くんじゃない。こういうときに本当に音楽の値打ちがあるんやなあ、ここに目的があるんやなあ。」って心に響くようにわかったって言ってました。

なんかそんなね、音楽でも何でも、本物の素晴らしいものに触れるっていう体験が、特に子どものときにあればね、それはそれでたいへん良いことだと思いますね。

私は、関西で育って、関西の風土が大好きで。だからユーモアのある人の方がいい。それと、漫画みたいなものはみなダメやと思ってたけど、そうやなくって素晴らしいものがあるっていうことに、ようやく最近気がつきました。そういうのを選んで、親が子どもと一緒に良さを発見していくっていうという生活があれば素晴らしい家庭になるやろうと思います。でも、大人の方が心を閉ざして「そんなもんはアカンのや」って言ってるのかも知れませんね。大人が完成物で、子供をそれに近づけるっていうのはおかしいのかも知れん。子どもは大人の鏡やと思わなあきませんね。

自分が子どものときは、ちょっと従順過ぎて自分の殻にこもろうとしてた。あの頃、もっと心を広げてフランクに付き合いができる・・・あいさつもそう。「おはよう」のひと言も言えるような、そんな開いた心の持ち主やったらもうちょっとみんなとも仲良くできたかも知れんと思います。

今の子どもさんの中にも、他の子ども達のなかにきっと溶け込めない子がいるやろうけど、なんか言葉を交わしていろんな話をしてみるっていうようなことができれば、いじめなんかも少なくなってくるんやないかなと、そんなことを思ったりもします。

うちの親父は、開けた心を持ってて、「成績悪くてもかまへん。」とか、「それよりこんな面白い本があるで。」とか、「こんな面白いこと聞いたで。」とか、心に訴える話をしてくれるんで、憧れてたんですね。その憧れの父親が、骨の研究をやってて、古い人骨を掘り出して嬉しそうな顔してた。これは大切な仕事やなと思ったものです。こんなふうな家庭でも、人としてやるべきことや、「あれしたらいかん。」ってこともきっちりと仕込んでくれたんです。近所の人も悪いことをしてる子がいるとを叱るとかね、そんなことしょっちゅうある時代でした。そういうふうに子どもを全体として抱える社会が、今は歪んでるように思います。学校へ子どもを預けて仕込んでもらえってというような、学校にあまりに過度な期待をかけているように思いますね。

なんかこういう、ついこないだまであった社会をだんだん忘れてしまって、なんとなく過渡期の時代が、今の時代かも知れませんね。子どもにとっては受難期なのかも知れないですね。

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