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生野 照子さん

医師 臨床心理士


1943年大阪市生まれ。
大阪市立大学医学部卒業。専門は小児科学、心身医学、医療心理学。元神戸女学院大学人間科学部教授。現職は大阪市立大学医学部非常勤講師、医療法人弘道会あべのクリニック心療内科医師。日本心身医学会指導医、日本小児科学会専門医であり、臨床心理士、指導健康心理士の資格も有する。学会活動は、神戸心身医学会代表、日本心療内科学会評議員、日本心身医学会幹事、日本摂食障害学会理事、日本うつ病学会評議員など。小児心身症とその関連疾患(医学書院)、拒食症過食症とは(芽ばえ社)、過食症からの脱出(女子栄養大学出版部)などの著書がある。

生野 照子さんからのメッセージ

感謝する言葉の温かさ

感謝する言葉がいかに大切かを、私の経験からお話させてください。

新米医師だったころ、私は、難病の高校生A君の「精神面の」担当になりました。
外来から急遽入院し、それから病気の説明をするという慌しさでした。
「現在では有効な治療法がなく、多くが死に到る」と、先輩医師はA君や家族にストレートに説明しました。
同席していた私は身を屈め、わけもなく申し訳ない気持ちで一杯でした。
過酷な現実を、伝える立場と伝えられる立場。
医師としての冷静さと、個人としての悲しさを、どう区別し整理すればよいのか分からなかったのです。
その場に居たたまれなくなったのは私の方で、当のA君は、考え込むような深い表情で自分の気持ちと向かい合っているようでした。

私は、出来ることを精一杯やるしかありません。
その日から出来るだけ時間を割いて、A君の病室を訪れるようにしました。
やがて彼は、日常生活や友人のことなど、相談や打ち明け話をするようになりました。
薬で症状がマシになっていたこともあって、楽しい話がはずむこともありました。
朗らかに話すA君をみて、このまま回復するようにと心から願いました。

しかし、改善期間は長続きしませんでした。
やがて検査値は崩れるように悪化し、病気が本性を現わし始めました。
強い薬が使われ、A君の笑顔も会話も消え、すがるような、訴えるような視線で私を見るようになりました。
そんなA君を目の前にして、私のほうが呼吸不全に陥りそうでした。
なんとか救いたい、気持ちだけでも楽にしてあげたいと、思えば思うほど病室へ行く足が重くなってきました。
経験浅い私には、彼の苦しみを共に背負う力も知恵も、出てこなかったのです。
そして、医者としての自信も砕けていきました。

ところがある日、慰めもできずにベッドサイドに立つだけの私にむかって、A君は「先生、ありがとう」とつぶやくように言ってくれたのです。
私はハッとして、「A君こそ、ありがとう」と言いました。
彼はうなずいたように見えました。彼はおだやかに、(先生、それでいいんだよ)と私を許し、受け入れてくれていたのだということが、その時にわかりました。
自分の死に向かいつつも、傍の人を思いやり、癒す言葉を出せる彼に、私のほうが救われたのです。
彼の「ありがとう」が、私の心の隅々にしみこみ、「これこそがカウンセリングなんだ」と悟りました。
言葉がもつ大きな容量を、はじめて実感することができたのです。

それから私は心理治療の専門家となりました。
今でも何度となく、彼の「ありがとう」を思い出します。
この治療が本当に「ありがとう」に値するだろうかと問い直し、姿勢を正します。
たった一言でも、その温かさや重さが、ときには他人の一生を変え、一生を育てることもあるのです。

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