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こころの再生百人衆

NPO・その他分野の方々

須田 和さん

男女共同参画学習アドバイザー・尼崎市立女性・勤労婦人センター所長


大阪外国語大学(現 大阪大学外国語学部)卒業、商社勤務の後、第1子妊娠中に退職。
2児の子育てをしながら、子育て支援の情報誌を自費出版する「ミズ プランニング」結成。
ドーンセンターを活動の拠点とし、講師や講座主催、原稿執筆などを行なう。 
12年の専業主婦を経て、三田市女性センター・指導員、兵庫県立男女共同参画センター・情報アドバイザーを経て、2004年7月から民営化された女性センターの所長を務める。兵庫県ユニバーサル社会づくり総合指針検討委員、少子化対策総合計画推進委員、明石市、洲本市、西脇市などの男女共同参画推進懇話会などの委員、全国女性会館協議会理事、文部科学省男女共同参画社会に向けた教育・学習支援企画委員も務める。 
兵庫県内外で男女共同参画推進、ワークライフバランス、ハラスメント防止、子育て支援などのテーマで自治体職員研修や事業所の管理職研修、労働組合、PTA、自治会などの講師に招聘されている。

須田 和さんからのメッセージ

親と、そして子と 心をつないで

私の父は広島県の農家で大正15年に生まれました。召集後、すぐに原爆投下で終戦を迎えています。 ちょうど20歳の父にとってはあこがれる大都会であった広島のまちと人々の惨状を知るにつれ、二度とこのようなことがないようにするにはどうしたらよいのかと、よく自分に問うたと聞いたものです。父の答は「子どもに教育を、そのために自分は懸命に働く」ということだったのだろうと私には思えます。

戦後、父は郵便局に勤め、同僚と結婚し、昭和31年に第一子として私が生まれました。当時箱入りで定価300円という「育児日記」を父が書いてくれています。母の実家に間借りしていた自宅での出産、命名、いただいたお祝のリスト。多くは「毛糸○○オンス」で、卵や鮮魚など食べ物の数々で、「郵便局の○課一同千円」といった現金や子ども服はごくわずかです。また、3歳ごろまでの私の様子が父の驚きや喜びや楽しさ、不満などとともに記録されています。 実はこの日記を私が手元に持つようになったのは、父が64歳で亡くなってからです。 薄くなりつつあるブルーのインクの筆跡や挟み込まれている「初めてきったツメ」「足型のスタンプ」などなどを見ると、感謝の一語につきます。これらを父といっしょに見ながら、読みながら、語り合っていたらどんなによかったかという悔いが残っているのは、思春期や父の退職直後などは、私は父の生きかたを尊敬することを一時やめてしまっていたからです。

ふり返れば、郵便局での仕事だけでなく、家庭や地域活動、親戚とのつきあいを懸命にしていた父。庭、畑、本棚、ブランコなどを作り、「明日、蹉跌(さてつ)がいる」と私がいえば早朝暗い内に一人で川辺に磁石をもっていって集めてきてくれ、PTAの役も積極的に引き受け、実家の農作業や親戚の工場の手伝いをするなど、いつも働いている姿しか思い出せない父。それなのに、私は感謝しているという想いを生前に伝えていなかったのです。

今の私は自分の成人した息子と娘に対して、父のように、忙しく立ち働く姿=愛情として見せていないことを痛感し、私は、父とは異なった形ではあるが、自分の子らへの愛情や想いをその時々で伝えてきた、と早く自信を持っていえるようになりたい、そして、それについて、彼らがどう思っているのかも、よく聴き、しっかりと受けとめたいと思います。

人は対等であるということや、価値観の違いがあったうえでも、それを尊重しあえる関係をつくりたいという想いをもって私が生きているということを伝え合うことができる親子関係を築けるのではないかと思います。

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