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こころの再生百人衆

経済分野の方々

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木戸 湊さん

ジャーナリスト 元大阪府教育委員


西暦1939年生まれ
早稲田大学卒業。1963年4月株式会社毎日新聞社入社。2000年6月同社専務取締役大阪本社代表就任。大阪産業大学客員教授、元大阪府教育委員。スポーツニッポン新聞において隔週日曜日コラム執筆中。

木戸 湊さんからのメッセージ

一家の柱は8才のアディ君

外国人記者として初めてインドネシア・ジャカルタのスラムに潜入ルポした時のことです。
いきなりスラムの顔役に腕時計を巻き上げられ、泥のまじった水しか飲めず、パラチフスにもかかり苦労しましたが、ただひとつの楽しみは8才になるアディ君との交遊でした。

小学3年生のアディ君は週一、二回、学校をのぞくだけ。あとは街角での夕刊売りが仕事でした。
ある日、夕刊売りに同行したら、あいにくの土砂降りでした。
道行く人たちも交差点で信号待ちの車の人たちも、だれ一人として夕刊を買ってくれません。
「これじゃ売れないよ。帰ろうや」と言っても、アディ君は新聞を抱いたまま、座り込んで動きません。
しびれを切らして抱き上げたら、わっと泣き出しました。
「ボクがお金を持って帰らなかったら、病気の母も2人の弟妹も晩ごはんが食べられないよ」。

私が差し出した500ルピア(当時で350円)をおずおずとポケットにしまいこんだアディ君の足元の泥道に、裸足の親指で書いたらしい「MAK」(母ちゃん)というつづりをいまだに忘れることができません。
聞けば、アディ君一家はジャカルタ郊外の普通のカンポン(村)に住んでいたのですが、市街地改造のあおりで、村を追い払われ、スラムに引っ越してきたのです。
職を失った父は妻子4人を残して行方不明となり、行商で一家を支えていた母は疲れがたまって結核になり、いまやアディ君の稼ぎだけが頼りだったのです。

一週間の潜入取材を終えてスラムを去る時、「そうか、オジさんは新聞記者だったんだ。ボクもしっかり働いて、きっとこのスラムを出るよ。そして勉強して新聞売りじゃなく、新聞記者になりたいな!」。
ひとみを輝かして約束してくれたアディ君のことを忘れることはありません。

あれから30年。アディ君の消息を知るすべもありませんが、あんなに頑張り屋だったアディ君は、まちがっても悪の道に踏みこんだり、他人に迷惑をかけたりはしていない、と信じています。
「独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人にへつらうものなり」。福沢諭吉の有名な教えです。
アディ君よりはるかに恵まれた大阪の子供たちよ、忘れてはならないのは “自立心”だよ!

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