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こころの再生百人衆

芸能・文化分野の方々

izumimotoya

和泉 元彌さん

狂言・和泉流二十世宗家


狂言・和泉流宗家に生まれる。実父 19世宗家 和泉元秀氏に師事し、4歳で狂言・靭猿にて初舞台。現在、和泉流20世宗家。
2000年 NHK紅白歌合戦の白組司会を務める。
2001年 NHK大河ドラマ「北条時宗」に主演。
2003年 TBS「ソルトレイクシティオリンピック」及び「世界フィギュア」の司会を務める。
狂言の世界にとどまらず、映画や舞台、TVなど多数出演、多方面で活躍中。

和泉 元彌さんからのメッセージ

伝統芸能は芸と日本人の豊かな心を受け継ぐこと  和泉流は室町時代の後花園天皇の代に生まれた流儀で、2010年で572年目を迎えました。私が21歳の時、宗家を継ぎました。当時は自分でできるのか悩むよりも先に、忙しさと慌しさに追われながら、無我夢中でその時を乗り越えたという気がします。しかし、そういう中で崩れないでいられたのは、何といっても父が厳しく教えてくれたからだと思います。そして、残された家族が和泉流の発展に一丸となったことが一番の力だと思います。
今は私にも8歳の娘と6歳の息子がいます。息子は私と同じ4歳で初舞台を踏みました。物心つく前から稽古の時は、大人の私がけじめをつけ、ここでは父と子ではなく師匠と弟子だという緊張感をしっかり持って臨んでいます。そうすると、子どもはちゃんと受け取り、それに向かってきてくれます。ただ、私は父と比べたら子どもに近いと思います。私は小さい時に父の事を「師匠90%、父親10%」とインタビューに答えたことがありますが、父の覚悟は更にすごく「師匠95%、残りの5%が父親でいられたらいいと思っています。」と生前に語っていました。
子どもは大人と違い、目標に向かっていく気持ちを自分では持ちづらいものです。だから、子どもに教える時は大人に対するよりも、強い力が必要ですし、厳しさという部分もしっかり持っていなければならないと思います。特に父親にはそういう役割があると思うのですが、子どもが「何くそ!」と思って立ち向かってきても、しっかりと受け止め、時にははねのけられる大きい存在でいて、強いものや大きいものがあるのだとか怖いということを教えるのも父親の役目ではないかと思います。そう考えると、師匠としての姿は父親としての姿でもあると思います。
息子の初舞台を迎える時、稽古から本番までは、師弟だと自分にも言い聞かせながらやっていましたが、本番当日、幕が上がった瞬間に「無事に終わってくれ、無事に帰ってきてくれ。」という気持ちが湧いてきました。あれは師匠ではなく、明らかに親心がふき出した瞬間でしたね。
一般に舞台が終わった後は、互いに挨拶をして終わりです。が、私は能楽堂や会場を出てからですが、比較的ちゃんと褒めるタイプです。よく頑張ったなら頑張ったと言います。でも、プロの狂言師として、できて当たり前という気持ちも本人には持っておいて欲しいです。父が厳しくしてくれたから今の自分がいると思うと、私も父のようにありたいと思い、自然と息子に厳しくなります。
一方で、子の親として私は親バカでいいと思っています。当然、厳しい父、師匠でありたいです。でも、決して憎んでいるのではないのだということも、ちゃんと伝えてあげなければならないと思っています。なりふり構わず、子どもを愛せるのは親しかいないと思います。「厳しくても愛される父」を目指しています。
また、子どものことを信頼する関係は持っていなければならないと思います。私は父がいる頃、弟子は師匠を尊敬し、師匠に信頼される弟子でなければならないと思いますという話をしたことがあります。舞台では褒めることが少ない父が後でその話を聞き、そのとおりだと褒めてくれました。今では教える立場になり、自分は尊敬してもらえる存在でなければならないと思っています。特に、私たちのような芸や心の伝承を生業とする者は、受け取る側の人間を信頼していなければ、自分が身につけてきたものや大切に守り伝えるべきものを受け渡すことは絶対できないと思います。
この子なら大丈夫という全幅の信頼を寄せてあげると、子どもには絶対にその気持ちが伝わると思います。そうすると、その期待に応えようとか、その気持ちを大切にしようということで信頼関係は生まれいくと思います。いつでも子どもをしっかり見て、悪いことをしたら叱り、良いことをしたら褒めてあげる。単純な事ではありますが、「ちゃんと見ていてくれるんだ」と子どもが思えることも日々の生活の中で信頼関係を築いていく、大切な事だと思います。何か困ったことがあれば、怒られてもいいから親に相談しようとか、まず話せる相手が親子や家族という関係であればいいなと思います。
私の両親も厳しくても、どこか親バカだったと思います。母は本当に日本のおっかさんみたいな人ですが、自分が子どもの頃にしてもらった事を、今度は自分の子どもにしてあげようと思います。さらに自分の子どもを見ている中で、これがしてあげられるんじゃないかなと気付く事ができます。その繰り返しが大切なのかもしれません。幼い子どもと接する時と、将来、成長した子どもと接する方法は違うと思います。でも、心に持っていないといけないのは変わらない「信頼」や「愛情」で、それがあれば十分ではないかなと思います。

 

時代も社会も変わる中で、570年以上もの間、家を守ってこられたのは、技術や文物もそうですが、やはり一番守らなければいけなかったのが「心」で、それを伝承してきたからこそ続いてきたのだと思います。当然のことながら、狂言を演じる時に伝統的な装束や道具はなければいけないのですが、何よりも演じる人間の心が変わってしまったら、すぐに崩れてしまいます。内側で守っている人間がもういいやと思った瞬間に壊れてしまうものです。そういうことでいうと、親から子ども、師匠から弟子へと受け継いできたものは、絶対に他人が壊せない、外からの力に負けない、「心」というものなんだろうなと思います。
これから、私はできるだけ長生きして、和泉流を継承・伝承していきたいです。やはり、子どもや孫のことを考えると、先人が長生きしている事で、正しい事を教え諭していくことができ、乱れることも少ないと思います。現代にあって、和泉流に伝わる古き良き「型」や「心」を継承していくことが第一義ですが、今の人たちに入り口を広く開くことも大切だと考えています。だから、同時代に生きている人たちに、できるだけ狂言のすばらしさを発信していきたいと思っています。
そして、入り口から入っていただいた方に、昔はこうだったのだ!とか反対に、昔からこうだったんだ!ということを、ちゃんと気付いていただける「本物」をお見せできるようにしておかなければいけないと強く思っています。例えば、今はたいていの物が四季を通して手に入りますが、季節にちなんだ演目を見ることで、これはこの季節のものなのだとあらためて知っていただいたり、今では忘れかけているような日本人だからこそ持っている美意識などを、楽しみながら感じていただけると思うのです。そういった事を伝統芸能の中だからこそちゃんと表現できますし、今の時代に狂言がもっている大きな役目ではないかなと思います。日本の伝統を誇りに思っていただけるよう、その姿をちゃんと残しておかなければならないと思っています。
伝統芸能や伝統芸術の世界は敷居が高く、特殊な世界だと思われがちですが、根本は皆さんの家庭と変わりません。別世界だと思われるのが一番寂しい事です。私は狂言師の家に生まれたから狂言を受け継いでいますが、皆さんの家庭でも、家風があったり、受け継ぐものがあると思います。何より思うのは、その人がそこにいることが、お父さん、お母さん、そして、おじいちゃん、おばあちゃんがいたということの証明になるのだから、一人一人の命があること自体が本当にすばらしいことなのです。皆に、その家に生まれた子としての誇りを持ってほしいと思っています。

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