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「こころの再生」府民運動とは

「こころの再生」を考える有識者懇話会

大阪府では、社会の変化や時代の変遷の中にあっても決して忘れてはならない共通の価値観や行動様式を改めて確認し、そのことを日々の暮らしの中で実践することをめざす「こころの再生」府民運動を展開します。

「こころの再生」有識者懇話会 第3回の内容


上田座長
本日は、第3回目の懇話会である。
前回は、井村委員と吉永委員から、それぞれ、ご発言をいただいた。
井村委員からは、選手育成のご経験を通じ、「感動する心を育てる」、「子育ては、親育ての問題である」「熱意を持って、本気で人と接することの大切さ」など、大変示唆に富んだご意見を頂いた。
また、吉永委員からは、「子どもの時間を子どもにきちんと返す」「子どもたちに、未来を信じ、たとえ失敗してもやり直しがきくというメッセージを」など、ご自身の体験も交えながら、貴重なご意見を頂いた。
その後、太田知事、竹内教育長等にも参加いただき、活発な意見交換が行われ、私の方からも、「命の教育」「人権と人道」「心学と大阪の実利」などをキーワードに話をさせていただいた。
本日は、宮原委員、続いて、桂委員から、それぞれ30分程度、まとまったお時間でご発言をいただき、その後、一括して意見交換を行ってまいりたい。
まず、宮原委員には、第1回目の会合で、「親や社会が責任と勇気を持って、子育てやしつけができる社会的基盤が必要」「マスコミも含め、社会全体が物事を正しくとらえ評価すべき」「子どもたちには、もう少し競争の精神も教えるべき」といったご意見を頂いた。
本日は、ご本人から、それを補足するご意見、あるいは別の切り口からも、ご発言を頂きたいと考えている。
また、桂委員には、第1回目の会合で、「「こころの再生」のキーワードは、「言葉と食事」」「一家団欒の食事と会話が基本」「丁寧語や尊敬語などが日本語の良さ」「ユーモアは、コミュニケーションの潤滑油であり、厳しさとやさしさにメリハリをつけるもの」といったご意見を頂いた。
本日は、それを補足するご意見、あるいは別の切り口からも、ご発言を頂きたいと考えている。
それでは、宮原委員から、よろしくお願いする。

宮原委員
「こころの再生」を人材育成の観点から捉えてみる。どのような人材を育成するのか、大学という立場から述べる、大学だけではなく、初等、中等教育でも同じようなことが言えるのではないかと思う。
私がとりまとめ役を行っているある会議で提起された問題だが、企業側が考える人材と大学が育てる人材に大きなギャップがある。人材について、即戦力という風潮があるがそれはいかがなものか、産業界で求めるのは、競争力のある、自分でものを考える人材である。これは、高等教育に限ったことではないと思うが、大学が育てる人材と企業側が要求している人材ではいろんな意味で齟齬がある。
なぜ、こんなことが起きるのか、これはやはり教育を学校に任せ過ぎて、地域なり社会が一緒に子どもを育てるという観点が欠けているからではないかと思う。その一番大きな原因は、社会とか学校など、いろんな意味でのコミュニケーションの不足があると思う。
それをテーマに話をさせていただく。この間、朝日新聞で記者のメモの捏造問題があった。それについて、朝日新聞が検証記事を書き、その原因は、「コミュニケーション不足である。」としていた。たった2回のメールのやり取りだけで記事を書いてしまった。取材現場でのコミュニケーション不足が虚報につながった最大の原因であるとしている。
大学でも、論文の捏造ということが起こっている。その原因を考えると、やはり社会に問題がある。記者はいくつ記事を書いたとか、一週間に記事を何個書けとかのノルマが与えられる。大学の教員もどこどこへ、何個論文を出したかということで評価される。記事の数や論文の数で物事が評価されるシステムに大きな問題があると思う。
いずれもコミュニケーション不全が大きな問題であると思う。子どもは、メールでよくコミュニケーションをしているではないかといわれるが、これは真のコミュニケーションではない。コミュニケーションというのはフェイス・ツウ・フェイスで行うべきものであり、いわゆるインターネットのメールは、普段おとなしい人でもとんでもないことを書くなど、人格を変えてしまうことがある。これも、インターネット社会が抱える大きな問題として存在する事実である。
コミュニケーション不全の問題は、いろんなところで見られる。環境汚染や資源の枯渇、遺伝子治療や再生医療といった、生命機能の問題まで科学技術の先端的問題は、ことごとく、我々の生活に関わってきている。しかし、それらの理解には高度な専門的知識を要し、一般市民は本来自らの生命と安全に深くかかわっている問題でありながら、問題が発生する仕組みや解決の方法を、自分たちで理解したり、創造したりすることはなかなか難しい。
たとえば、医療現場で医師と患者の間でのインフォームドコンセントが義務付けられるが、患者は医師の専門的言葉が充分理解できないので、つい医師の判断に任せてしまう。医師の方は専門の研究に没頭して、コミュニケーションの訓練、対話の訓練を充分に受けないまま、医者になっている。不安がる患者にどのように接していいか分からない若手の医師が増えている。患者とコミュニケーションがうまく取れずに、医者自身が落ち込んだりする。これは現実的に起こっている問題である。さらに不用意なことが起こって患者さんを傷つけたりする。医師と患者の間でのコミュニケーションがきちんと成り立っていないということが現状である。
別の観点で見ると、こういうデス・コミュニケーションという状況は、発電所やごみの処理場の設置を巡り、行政と住民の間、あるいは、食品の安全管理や遺伝子作物の安全性の問題について企業関係者もしくは専門科学者と消費者の間にコミュニケーションギャップ、コミュニケーション不全が生じていることと同じと思う。科学技術というマクロな意思決定の場面から医療、福祉、教育などの個々の臨床的意思決定の場面まで、利害や立場の異なる当事者の間でこういうデス・コミュニケーションが日本の社会では非常に深刻な形で存在している。
このような問題ごとの適切なインターフェイスの欠落、つまりコミュニケーションギャップを何とか埋めようとする動きは、諸外国等で始まっている。 たとえば、生命技術をめぐって、専門の科学者と市民がじっくり議論して、市民がその中で、ある意思決定に至るコンセンサス会議とかは、科学技術者をつなぎ役として開かれるようになっている。ヨーロッパなどでは、一つの国の国策の決定までこういう会議が影響を与えるようになってきている。異なる文化の間をつなぐコミュニケーションは、これからいろんな形で問題になり、我々としては模索していかなければならない課題である。
我々の大学では、コミュニケーションをデザインするということで、コミュニケーションデザイン・センターを新しく作った。今まで学部の学生は教養教育というものを学んで卒業したが、大学院博士課程や修士課程で学ぶ学生は、専門のコミュニケーションの方法論を身に付けて卒業する。我々は大学でこういう人材をつくろうとしているが、企業では受け入れられないというデス・コミュニケーションがある。
人材育成という問題で、スクールインターナショナルプレーニング、体験学習を研究されている先生の書いていることを引用させていただく。私もまったく同感であるが、人間力というのは組織社会において、極めて大切である。
人間力とは何か、一番最初に関係力で、括弧書きでコミュニケーション力(りょく)と書いてある。人間力を形成する一番大切なものは、コミュニケーション力(りょく)であると言っている。つまり、人である以上、私たちは関係を避けることはできない、関係のありようが人間としての力を大きくし、また小さくする。コミュニケーション力(りょく)の中には、物事への反応力、人の話を聞く傾聴力、伝達力、受容力の四つの力が含まれている。
人間力を高めるためのベースは、自分を見つめ、自分を知ることである。当たり前のことであるが、その当たり前のことがなかなか出来ないのである。この当たり前ということで、もう一つ紹介する。ある雑誌に日本の教育という特集号があった。その中の記事で、企業から大学に示された人材育成の問題で両者の間に齟齬があるということが指摘されていた。タイトルは、「即戦力の幻想」ということで、いろんな所で、直ぐに辞めだす者とか、そういう要求が高まっている。それに対する警鐘を鳴らしていた。
人材育成に関して、自信を失ってしまったのは教育現場だけでなく、職場においても同じである。そういう喪失感を象徴する言葉が、即戦力であると言われている。人材育成は難しい教育プログラムや研修制度を実施するのではなく、むしろ、一人ひとりが当たり前のことを日々着実に実行することが本質だと言っている。
非常に極論だと思うが、挨拶さえしっかりできれば世の中、何とか生きていけると書いている。本気で教えてくれる、叱ってくれる学校や社会が、5%あれば、それで全ての中学生は本当の大人に会えるチャンスが生まれるといっている。
地域社会つまり、大人が子どもをちゃんと育てるんだということを強調したい。育成とは、育てる側の人間のあり方が問われているのだと思う。
たとえば、携帯電話禁止といっている所で、平気で大声で携帯電話を掛ける大人がいる。大阪の代名詞になっている、不法駐輪、不法駐車、窓からごみを捨てることが日常茶飯事に行われている社会で、いろんな教育プログラムなになにといっても始まらない。まず、簡単なことから始めていくことが大切だろうと思う。
先日、大阪ブランド戦略推進会議が開催され、コメンテイターとして参加した。1時間程度いろんな方の話があったが、非常に空しい感じがした。あのようなことでは大阪のブランドはできないと思った。ブランド戦略推進会議を開く前に、たとえば、不法駐輪を一掃するような市民運動を起すとかをやったほうが良いのではないかと思う。
ある方が「大阪弁はいいんだ、こんなすばらしい言葉はないんだ」と言われたが、これは自己満足しているに過ぎない。地方に行けば、自分たちがすばらしいと思っているに違いないわけである。だから、大阪がブランドを上げようとするときに、大阪弁がいいとか悪いとか議論してもナンセンスだと思う。良さを認識して守らなければならないことは、当然のことであるが、しかし、それを他に宣伝したからって大阪のブランドは上がらないと思う。
大阪は教育に関して、もっともっと、すばらしい土壌があったということを紹介したい。
よく知られている懐徳堂だが、江戸時代に大阪が「天下の台所」と呼ばれ、経済の中心地であった元禄の頃、まさにバブル経済の絶頂期であった。しかし、バブル経済は崩壊し、幕府や各藩は深刻な経済危機に陥った。ちょうど、今の大阪と同じような状況にあると思ってもいいと思う。そのとき、大阪の商人たちはどう考えたか、商人たちが強く持った信念は、「唯一、子どもに残せる財産は教育しかない」と、教育の重要性が意識されるようになった。そして、1724年(享保9年)に懐徳堂が設立された。その目的は、商人の子弟の躾が主であった。経理や経営に関する知識を教えるだけでなく、人間としての基本である倫理を教え、物の道理を追求する姿勢を教えることであった。
これは、大阪商人の凄さだと思う。一般に大阪商人は利に聡く、目先の利益を追うものと考えられるが、決してそうではない。懐徳堂の歴史を見れば良く分かる。まったく、今と同じような状況であったと思われる。
中学・高校での教育問題だが、たとえば、懐徳堂は何年に誰が創ったかということを教えて終わりである。試験も「懐徳堂は、誰が、何年に創りましたか」と問い、一文字間違えても、ペケになるのはおかしいと思う。歴史を教える場合は、出来事がそれぞれ何年に起こったことかというだけでなく、それぞれの起こった順番、因果関係、必然性などをきちんと教えるべきだと思う。
今日の新聞に出ていたが、最近の子どもは「理科離れ」ということが言われるが本当にそうだろうかと思う。ある時代を境にして、子どものDNAが変化して、科学の不思議だとか、好奇心が少なくなったという書き方をされているが、決してそうではないと思う。やはり、それはお金が儲かるとか金融だ、ビジネスだ、株だという社会の風潮にあると思う。理科や物理をやるよりもビジネススクールに行ったほうが、お金が儲かりますよという風潮があると思う。決して、最近の子どもの科学に対する好奇心が減ったとは思わない。子どもは、面白い科学実験をやれば好奇心を示す訳で、そういうことをやることで多少は振り向かせることができるかもしれませんが、根本的な解決にはならないと思う。歴史の問題も、子どもが興味を持たないからというのはなくて、もっとベースにある社会的問題として捉える必要があると思う。
大学にも言えることだが、大学ベンチャーと騒がれているが、我々の大学も、大学発ベンチャーをいくつ創ったかということで評価される。これは本当にいいことか、学生、教官が研究するのはいいが、本当に企業を起すことがいいことかと、社会として反省してみる必要があると思う。
企業を起すのは大学の先生よりプロがするほうがよいと思う。日本はなぜ、ベンチャーが起こりにくいと訊かれるが、大阪の企業のほとんどがベンチャーである。学生や先生が企業を起したものをベンチャーと言われるが、それだけではない。ベンチャーはあくまで結果だと思う。大学の先生がやってうまく行くものがあればどんどんやればいい。
大学や社会や学校なりが、教育の現場に対して「ゆとりを持って研究をしてもいいんだ」という寛容な気持ちを持ってほしい。小学校等に対しても、こういう人を育ててほしいときちっと意見を言うべきだと思う。そこで、コミュニケーションをとるべきだと思う。文部科学省がゆとり教育だと言っているが、本当にみんな賛成しただろうか、文部科学省が試験的にやってみたものというならその時の学生は困る。
こころの再生ということを人材育成という切り口で考えて見ると、資源のない日本が今後行く道、特に日本が科学技術創造立国を謳っているわけだから人材が必要である。 さらに、少子化をむかえるようになったとき、この人材育成が非常に重要になってくると思う。既に、ヨーロッパ先進諸国では、国家プロジェクトとして考えている。
先日、テレビ放送していたが、フィンランドでは、いろんな科目で、ほとんど小学校、中学校の学力テストの結果が一位である。日本はどうなっているかと言えば、アジアの中でもどんどん地位が下がっている。だから教育をもう一度考え直し、即戦力ということだけではなくて、長期的展望のもとに、教育のグランドデザインを立てていくことが問われていると思う。
繰り返しになるが、地域社会、大人が次世代の人格を育てることが大事である。それは決して難しいことではない。「挨拶ができる」「最低限必要な社会のルールをきちんと守る」「道を歩くときのマナーを守る」など、そういうところから考えていけば、こころの再生ができるのではないか。それを実現するために、コミュニケーション能力を高めることが大事であると思う。

上田座長
ありがとうございました。
人材育成の重要性をめぐって、企業の要求する人材と先生自身が大学の側から、大学が目指している人材の例の中から、コミュニケーションの重要性を指摘された。
この問題は、桂さんの第一回でおっしゃった問題ともつながるものと思う。
それでは、桂さんどうぞ。

桂委員
元国会議員が覚せい剤をやっていたというニュースを見て、前代未聞というか、びっくりした。これは日本の国の恥だと思った。最近は、恥ということが少し失われてきたのではないかと思う。落語家は、入門した時から「そんなことをしたら一門の恥や」とか「師匠の名を汚すな」とか、「自分の看板を汚すことになる」とか言われてきた。
宮原先生の話と同じになるが、僕も先生のおっしゃることはそのとおりだと思う。昨日、東京で落語会があったが、これは、九代正蔵襲名で、私はゲストとして、落語と口上に出た。口上が終わった後で、あるテレビ局が、マネジャーを通して僕のある後輩がやっている番組が20年続いたので、それに対してお祝いのコメントがほしいと言うてきた。どうせ、東京へ行っているし「それはいいですよ。」と返事した。私が舞台を終えて楽屋に入ると、既に、楽屋でセッティングしていた。普通は、「お疲れ様でした。私はこういう者ですが、楽屋へ先に入らせていただきました。収録する為にこういうふうに、ちょっと配置を変えさせていただいております。どうぞ、了承してください。」とか、挨拶があってしかるべきと思うが挨拶がない。
終わってから、マネジャーに、「ちょっとあれ、失礼と違うか」と言った。せっかくお祝いとしてやるのだったら気分よくしたかったので、「撮り直してほしい」と伝えた。私は家に電話して「こう言うことがあってん」と話すと、嫁さんが「ようあることや」と言って、「そう思うんやったら、自分の弟子が人にそう思われんように、ちゃんと躾なあかんで」と言われた。
テレビ局の人間も、先ほど宮原先生の話にもあったが、番組でどういうふうに視聴率が上がるか、どれだけ自分が認められるかなど、そういうことだけが先にあって、この人に対してきちっと挨拶をせなあかんとか、順序を踏むというよりも、今は、自分さえよかったらええ、みたいなことが増えているような気がする。
入りたての弟子が、東京へ付いていくときに、新大阪の駅に行くと、ごっつい大きな荷物を持っている。「その荷物、何が入ってるねん」と聞くと、「これ、私の荷物です。」と答えた。「君の荷物はいらんねん、そんなもんどうでもいいから、僕の荷物の端っこに、ちょっと、いるもんだけ、財布なら財布、携帯なら携帯を、入れといたらええねん。」と言った。
また、マネジャーと一緒に、東京に行くのに新幹線に乗った。僕は、朝早かったから、新大阪の駅で一番高い弁当とお茶を二つ買って、マネジャーに渡した。私は食べたが、マネジャーは食べなかった。後で食べるのかなと思っていたら、車内販売が来た。その車内販売を呼び止めて、マネジャーはサンドイッチを買った。
僕は、これは何かなと考えた。「君、僕、弁当を買ったんやけれど、」「いや、私、朝はパンに決めているんです。弁当は後でいただきますから」と言う。それは、そうかもわからないけども、やっぱり、朝はパンに決めていても、人からしてもらったことに対する、恩恵というか、それに対して応えやないかんと思う。
その日は、東京泊まりだったが、東京から嫁さんに電話して「実はこんなことがあったんや、むかついているんやけども、むかついている僕はおかしいかな。」と聞いた。そしたら、「そんな人、このごろ増えてるねん。そやから、弟子がそうならんように、教育しとかなあかんで。」と言われた。
僕は、人に対する思いやりが大事であると思う。挨拶などは基本中の基本なので、「おはようございます、」とか、「ありがとうございます、」とか、「いただきます、」とか、人に対して「思いやる」とか、「やさしくする」とか、そういうのは、もっと、きちっと、教えていかないかんと思う。それは、やっぱり、教育に問題があると思う。こういうことを、「宿題」いう落語に創った。それは、道徳の授業だけでなく、算数とか、国語とか、社会とか、そういう授業でも、「いたわる」とか、「思いやる」とかということを教えんといかんと思う。
「宿題」という落語は、実際に僕が塾に行って、先生に聞いた話で、某有名中学校の算数の入試問題をお父さんが帰ってくるのを待って見せるという話である。
「上が小学6年生、下が小学2年生のきょうだいが、そろって駅に向かって家を出ました。21分後に105メートル遅れたので、これではいけないと、1分間に20メートル早く歩きだしたところ、兄が駅に着いたとき、弟は60メートルに迫っていました。さて、家から駅まで何メートルでしょう。」というのが問題。
僕は、これはおかしいと思う。弟が遅れたら、兄は待ってやらなければいけない。弟は兄が待ってくれるのを見たら一生懸命ついていく。きょうだいそろって仲良く歩けば、こんなややこしいことにはならない。お父さんは息子に宿題のことを教えて、答えは「兄弟仲ようせいいうこっちゃ。」と言うてごまかす、それを落語にした。
僕は教育の中でも、もっと全体で「人に対する思いやり」、「やさしさ」、「あいさつ」をきっちと教えていかないと、戦後アメリカの自由主義が入ってきて、自分さえよかったらええという、なんか勘違いしているところがあると思う。
これはまだ、オンエヤーされていないが、この間、「新婚さんいらっしゃい」に次のような夫婦が出てきた。北海道のご夫婦で、奥さんがご主人のことを好きである。アメリカのオレゴン州から来ているご主人は、本当にいい男なんですよ。
奥さんに「結婚してからの不満は何か」と聞いたら、アメリカ人の夫が、道を歩いている時でも、肩を抱いたり、腰に手を回したり、手をつないだりしてくれないこと、信号を待っている時にも「チュ」としたり、ただいま「チュ」、お帰りなさい「チュ」をしないこと。アメリカ人やから、「アイラブユー」とか、「好きや」とか、そういうことを言うてくれると思って結婚したが何もしてくれない。そしたら、オレゴン州出身の夫は「いや、うちの町では、そんなことしている奴はおらん。道歩いている時でも離れているし、人前でキスするなど、そんな恥ずかしいことはしていない。」と言う。どっかで、アメリカではこうだという思い違いができたと思うが、もう一度、「日本の良さ」である「恥ずかしい」ということを見直すべきであると思う。
それから、配布資料の新聞記事について紹介させていただく。これは、河合文化庁長官の書かれたもので、最近の家族がバラバラになるのは、家族の中の「物語」が失われたからではないか。家庭で物語の代わりに「報告」や「指令」ばかりが行われると、心のつながりが失われてしまうという内容である。やっぱり、「あれしとけよ、これしとけよ、これせえよ。あれせえよ」と、指令ばかりでなくて、いろんなことを話し合うということが一番大事なことじゃないかと思う。

上田座長
ありがとうございました。
宮原委員からは、人材育成についてコミュニケーションが非常に大切であること、企業が大学に求める即戦力的な人材育成は間違っていることなど、大学人の立場からご意見を頂いた。
桂委員からも、出されたテーマの内容は違うが、共通しているのは恥を知らない人間が増えているということ、国会議員の覚醒剤事件から話を始められ、人に対するおもいやりや挨拶が十分にできていないことなど、お二人の意見は期せずして共通した部分があったと思う。

太田知事
討論の皮切りにということで、恐縮ですが、私も腹が立つことがたくさんあるが、直接言えないことがある。言うと嫌われるだけなので、遠慮して我慢することが多い。それがつづくと、語りかけることが少なくなりコミュニケーション不足を招く。
○この間、大阪ブランド戦略推進会議を開いて、大阪言葉について話し合った。

上田座長
そのことについて宮原委員が先ほどふれられた。

宮原委員
大阪弁はすばらしいと私も思うが、あの大阪ブランド戦略推進会議で、戦略とするのはどうかと思う。大阪のブランドとして強調するのはおかしいと思う。

上田座長
大阪弁を大事にしましょうと言うだけでは大阪エゴイズムになってしまう。こころの再生懇話会は、心を表現する上で大阪弁のありようを論ずべきではないか。

井村委員
何弁でも構わない。伝えようとする気持ちの方が大事と思う。 知事が言われたが、私は腹が立つことがあったら我慢せずに言う。嫌な顔をされたら、もう一回言う。私はそこで解消する。言わないとだめだと思う。それが本音の付き合いだと思う。

吉永委員
腹が立つ行為に黙っていられない時に、それを指摘すれば嫌われるんじゃないかという段階よりも、殺されるのではないかと覚悟しなければならないほどになっている。命がけでないとなかなか叱る言葉になりにくい。
注意をされた事がないという子どもたち、一度も誉められた事のない子どもたちが多くて、親に愛情があっても、「だめじゃない」と否定の言葉ばかり掛けられている子どもたちは何かを伝え合おうとする気持ちが段々萎えてきてしまっていると思う。
学校も家も話題という意味では、楽しい場でなくなってきていて、伝え合おうという気持ちが育っていかないのが現状である。 人材を育成するためには、子どもを育成する人をどう育成するか。昔の小学校の先生は、礼儀を知っていて明るい先生だったと思う。今は、偏差値の良い人が先生になって、子どもが嫌いだけど先生をしている人も結構いる。子どもを笑いで包んでくれる能力が最低限必要なのではないか。大人に何かを教えて貰う事は楽しいなと思えると今のような無礼は自然と無くなっていくのではないか。

上田座長
人材を育てる側の立場も大事である。

太田知事
コミュニケーションが不足しているというのは社会の崩壊を象徴している。コミュニケーションは生きていること、そのものと思う。

吉永委員
へたなことを言ってイジメにあったり仲間外れにされたりするといけないから、黙ってしまう傾向がある。でも誰かとつながっていたいから、メールをするのだろう。

上田座長
こころの再生は、コミュニケーション不足がキーワードの一つだと思う。学校、家庭だけでなく職場にもコミュニケーションが不足している。ぜひ職場も問題にして頂きたい。

宮原委員
昔、地域の人が集まって火の用心をしたように、地域の大人が集まって子どもに声かけをしたらどうか。

井村委員
挨拶をするんだよとか、人を思いやるんだよと自然に学ぶのが当たり前だと思うように教えてあげなくてはいけない。

吉永委員
たむろをしている子はむしろコミュニケーションを求めているのだと思う。電車の中で注意をすると、みんなが援護してくれるどころか一斉に目をそらして、一対一になってしまう社会である。

桂委員
怒っていたらきりがない世の中である。「道徳」の時間に教えていかないといけない。

竹内教育長
来年度の運動にむけて、検討をしているが、「道徳」の時間が全ての教科・学校活動に影響するので、こころの教育、道徳教育のあり方を教育委員会として打ち出していかなくてはならないと思っている。司馬遼太郎先生の文章にもあるが、思いやりは生まれついたものではない。だからこそきっちり社会で教えていかないといけないとある。「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが、衣食が足りすぎたがために、人間性を失い、会話が減ってきたのではないか。空腹を満たすために会話をする必要がなくなっている。

上田座長
生まれながらにしてやさしい人間はいない。鍛えられてやさしくなる。

吉永委員
こころの教育というと、かまえてしまう。教え育てるという上からの視点をちょっとはずすと、もっと自由に学びあえる場がひらけるのではないかと思う。

上田座長
生涯教育とは言わず、生涯学習という。学習には主体性が必要だ。自らが学ぶという姿勢をどう育てるかが重要ではないか。

成山教育監
心の持ち方は、子どもに対する大人の接し方で伝わっていく。子どもにどう接するか、大人に対する発信が必要ではないか

上田座長
それでは、第3回目の会合も締めくくりが近づいてきた。全般にわたって、何かご意見はないか。
意見も出尽くしたようなので、第3回の締めくくりにあたって、本懇話会としての「提言」作成の方向について、確認をお願いしたい。
本懇話会では、これまで、委員の皆さんから、大変示唆に富んだ貴重なご意見やご指摘があり、また、知事さんにも毎回ご出席いただき、活発な意見交換がなされ、大変実りの多い会合であったと考えている。
いよいよ本懇話会としての「メッセージ性のある宣言文」をとりまとめる必要がある。
そこで、「宣言文」の構成等について、事務局の方で、資料を用意していただいているので、竹内教育長のご説明をお願いする。

竹内教育長
今回で3回目になったが、「こころの再生宣言」を次回の4回目で最終的にまとめて頂きたい。
事務局として資料をお配りしている。
まず、本懇話会のねらいとして、「こころの再生」に向けた基本理念、基本方向、府民への期待などを、「メッセージ性のある宣言文」としてとりまとめていただき、平成18年度からの府民運動をはじめとする各種施策展開のベースとしてまいりたいと考えている。
次に、構成として、その骨格をお示しする。
まず、「前文」としては、「なぜ今「こころの再生か」」。
ここでは、現在の子どもたちをとりまく危機的な状況に対する認識と、「こころの再生」が必要とされる背景を記載。
次に、「「生きる」とは」。 一人ひとりの「命の尊厳、重み」を認識しながら、人間が生きるということは、命のつながり、連鎖の中で生かされているということ。あわせて、私たちが現実を生きるということは、不条理なことも多く、つらいことにも耐えながら、夢や目標を持って生きていくことが必要であるということ。また、「ひと」は一人では生きていけないのであり、家庭や社会さらには、国家とのかかわりの中で生きるものであること。
次に、「本文」としては、
「1「ひと」として、してはいけないこと」。
例えば、「人を殺してはいけない」「人を騙してはいけない」「盗みをしてはいけない」など、人間として守らなければならない普遍的なものを再確認すること。
「2「ひと」として、なすべきこと」。
私たちが、「ひと」としてよりよく生きる、心豊かに人生を生きるために必要なもの。例えば、「努力」「勤勉・勤労」「信頼」や「感謝」などがあげられると思うが、一方通行的に羅列するのではなく、なぜそれが求められるかをわかりやすく記載したい。
「3 具体的な行動の呼びかけ」。
大人と子どもたち双方に対し、学校・家庭・地域・職場で、日々の暮らしの中での実践を呼びかけるもの。いくつかの切り口が考えられるが、例えば、「子どもたち」「親(保護者)」「それ以外の大人たち」という3つの分け方をした場合、「子どもたち」に対しては、「命を大切にする」「友達を絶対にいじめない」「周りへの感謝の気持ちを持つ」「報われるためには努力が必要だ」といったことを基本とした実践を呼びかける。「親(保護者)」に対しては、「躾は、日常的には家庭の責任である」「子どもを褒めるべきときは褒め、叱るべきときは叱る」「家族で団欒の食事をする」といったことを基本とした実践を呼びかける。「それ以外の大人たち」に対しては、「自らの行いで範を垂れる」「大人が本気で子どもたちにぶつかっていこう」「ユーモアを交えながらコミュニケーションをとろう」といったことを呼びかける。
「4 社会全体のありようについて」。
戦後60年が経ち、日本社会全体が大きな転換期にある。私たちの社会自体が、大切なものを失っているのではないかといった問題意識をベースに、企業やマスコミなども含めた社会全体への問題提起。
最後に、「結び」としては、
「大阪精神の良さ、伝統の再認識」。大阪の歴史的・文化的土壌や大阪人の知恵といったものの再発見の上に立って「大阪が変われば日本が変わる」という気概を示していくこと。
「府民運動の展開に向けて」。
来年度以降の府民運動の展開について、明快でわかりやすく、身近なところで少し努力すればできるようなものとするなど、運動をすすめるにあたっての留意事項を示唆いただく。
「留意点」としては、府民にやさしい言葉で呼びかける論調とし、中学生程度が理解できる表現や内容とすること。分量としては、14ポイント(このペーパーの文字の大きさ)で、10頁程度のものとすること
全体を通して、上田座長からご指摘のあった「人道(人の道)」あるいは、「宗教的情操感」や「道徳」といったことを念頭に置きながら、基本的考え方や方向性を整理するとともに、本懇話会で委員の先生方からいただいた、「食事と言葉」「本物を本気で」「ユーモア」「大阪らしさ「コミュニケーションの大切さ」といったキーワードや考え方に基づき、肉付けを行っていきたい。
なお、「宗教的情操感」や「道徳」にかかる部分については、梅原猛先生が書かれている「道徳 梅原猛の授業」という本がある。これは、京都の洛南中学で梅原先生が特別授業をされた内容の記録であるが、大変示唆に富んだもので、私自身大いに感銘を受けた。提言とりまとめにあたっては、背景的な部分を参考にさせていただきたいと考えている。
以上、『大阪「こころの再生」宣言』のとりまとめ方針についてご説明申し上げた。今後、上田座長とご相談させていただきながら、事務局案を作成してまいりたい。どうかよろしくお願い申し上げる。

上田座長
ただいまの説明について、ご質問、ご意見などは、ございませんか。
先ほど、竹内教育長からご紹介のあった、梅原さんの本は、本懇話会の議論と非常に関連があると思うので、参考にするのがよいと思う。
それでは、ただ今、皆さんにご確認いただいたので、この方向で、次回に向け、私と事務局で相談しながら、原案を作成することとし、事前に随時、委員の皆さんにご相談させていただく。
次回の進め方について、竹内教育長、いかがですか。

竹内教育長
次回の進め方について申し上げる。
最終回となる第4回の懇話会は、12月20日(火)の午後2時から4時を予定。
事前の日程調整で、次回、最終回も全委員の皆様にご出席いただけるとお伺いしている。
最終回では、先ほどご了解いただいたようなかたちで、本懇話会として「こころの再生大阪宣言」的な「提言」を、とりまとめていただく予定。
次回は年末でもあり、大変お忙しい時期ではあるが、どうかよろしくお願いする。

上田座長
次回までには、時間も少しあるので、事務局とも話し合いたい。委員の方々には、個別にご相談させていただくこともあるので、よろしくお願いする。
それでは、本日の懇話会はこれをもって閉じさせていただく。次回もよろしくお願いしたい。

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第3回「こころの再生」を考える有識者懇話会(概要版)(PDF:105KB)

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